御祭神・御神徳
(穀物を司る神様)
(国造りの神様)
(導きの神様)
(天照皇大神の侍女)
鎮座地:神奈川県鎌倉市佐助2-22-12
社号碑
参道
参道
拝殿
古い稲荷群の眷属
古い稲荷群
古い稲荷群の眷属
本殿への石段
本殿の鳥居
本殿の眷属
本殿
スマホのGoogle Mapで行くと大変な目に遭います。鎌倉駅西口からまっすぐ歩いて佐助一丁目の交差点を入っていけば、20分くらいで楽々着けるところを、わざわざバスに乗せられ、大仏坂で下車。その後、ひたすら山道を1時間登り降り。。。その挙句、佐助稲荷神社の裏側に到着後、崖から飛び降りろ!との指示。苦行でしかありませんでした。これから佐助稲荷神社へ行こうとされている方は、決してGoogle Mapだけは使わないようにしてください!
由緒は頼朝が病気に臥せっていた際に「かくれ里の稲荷」と名乗る翁が夢枕に立ち平家挙兵を促しました。そして頼朝は1180年8月に北条氏など東部の武士と協力し平家打倒の挙兵に踏み切ります。社伝によると建久年間、初代鎌倉幕府将軍・源頼朝が畠山重忠に命じて「かくれ里の祠」を探し当て稲荷神社を再建させたと伝えられています。(建久1190~1199)頼朝は若い時、兵衛佐であったので佐殿と言われており、その佐殿を助けた神と言うことで佐助稲荷と言われています。佐助稲荷神社は頼朝が旗揚げの後征夷大将軍までのぼりつめたことから、別名「出世稲荷」と呼ばれ信仰を集めています。永く鶴岡八幡宮の境外末社でしたが、明治42年(1909年)に独立した社となりました。